信仰の道巡礼札所として
西国三十三所をはじめとし、中山寺はささまざまな巡礼、霊場会の札所に定められております。
御朱印は別名、御納経とも呼びますが、これは元々お写経をお寺に納めた証として発行された、いわば受領書であったことに由来します。単なるスタンプ集めではないことをお心に留めていただき、ご参拝いただければ幸いです。
中山寺の山内で、全ての七福神さまにお参りしていただけます。ご参拝のおり、観音さまのお慈悲と七福神さまのご利益をぜひお授かりください。七福神さまのお姿が入った専用の台紙をご準備しておりますが、お持ちの御朱印帳で巡っていただくことも出来ます。
【 第二十四番 大悲殿 】
【 第二十四番 御詠歌 】
野をもすぎ 里をもゆきて 中山の 寺へまいるは 後の世のため
中山寺は、近畿二府四県と岐阜に渡る観音巡礼の道、西国三十三所の第二十四番札所であります。
養老二年、大和国長谷寺の開祖徳道上人が病で仮死状態になった際に冥土で閻魔大王にお会いになり、「生前の悪行によって地獄へ送られる者が多い。観音霊場へ参り功徳を得られるよう、人々に観音菩薩の慈悲の心を説け。」とのお告げを受けました。
その証拠となるよう閻魔大王の御宝印と起請文を授かり現世へ戻り、観音信仰の流布に努められました。しかしながら当時は世に浸透せず、巡礼は発展しませんでした。徳道上人は巡礼の機が熟するのを待つため、御宝印を中山寺の石の櫃(からと)に納められました。
その後、第六十五代花山天皇が退位後仏門に入られ、石の櫃から御宝印を取り出し西国三十三所を再興された際、現在の二十四番札所に定められました。
西国三十三所の御朱印は、謂わば閻魔大王のお墨付きを頂戴した極楽浄土への通行手形となり得ます。
草創一三〇〇年を超え、日本における巡礼文化の祖となる西国三十三所、ぜひ皆さまも観音さまの大慈大悲に触れられてはいかがでしょうか。
【 十一面観世音菩薩 】
弘法大師空海によって開かれた真言宗。
その真言宗の主要な十六派、十八ヶ寺の総大本山の集まりを真言宗十八本山と呼びます。
当山は真言宗中山寺派の大本山として、本尊十一面観世音菩薩のもと弘法大師の教えを護持しております。
【 第二十一番 五大尊 】
【 第二十一番 御詠歌 】
むらさきの 雲の峰々 中山の 衆生たすくる 五大尊
近畿二府四県、宗派の垣根を超えて不動明王をお祀りする三十六ヶ寺からなる巡礼道です。
不動明王の恐ろしい表情は「憤怒相」と呼ばれますが、何者をも恐れず民衆を救う慈悲の心の現れであるとも言われます。
中山寺ではお不動さまを中心とし、降三世明王、軍荼利明王、大威徳明王、金剛夜叉明王の五大尊をお祀りしております。
【 第一番 大悲殿 】
【 第一番 御詠歌 】
群雲の かかる浮世の 中山に 慈悲の光や ひとり晴れゆく
大阪府と兵庫県に渡る、観音さまをお祀りする三十三ヶ寺の巡礼道です。
三十三と言う数字は、観音さまが三十三のお姿に変化し衆生をお救いになる、三十三応現身の教えに由来します。
【 第六十九番 弘法大師 】
大師堂にて朱印いたします
【 第七十番 寿老神 】
納経所にて朱印いたします
【 第七十一番 厄神明王 】
奥之院にて朱印いたします
摂津国(大阪府北中部と兵庫県の一部)に点在する八十八ヶ寺。宗派やお祀りする仏さまもさまざまです。
廃仏毀釈や戦火で多くの札所寺院が被害を受け一時は衰退しておりましたが、昭和五十五年に全札所寺院の結集、再興が成されました。
当山奥之院(10時~15時半)が第七十一番札所と定まっておりますが、山道を約一時間あまり進んだ所にお堂がありますので、よくご準備をされてからご参拝ください。
【 第二十六番 太子馬蹄石 】
日本に仏教が流布される際、多大な努力をなされた聖徳太子ゆかりの霊場です。
当山奥之院のほど近く、太子の愛馬黒駒の馬蹄跡が残る石がございます。
納経所では太子馬蹄石の墨書をいたします。
阪急宝塚線に点在する七福神をお祀りする霊場。
当山では寿老神の御朱印をお授けします。
また、全寺院の参拝印を集めると阪急電鉄オリジナルグッズがいただけます。
【 寿老神 】